中東の嵐
1987.11〜12




砂漠の国境を抜け、イランに入国。
パキスタン側の未舗装路とはまったく違う立派な舗装路の上を
ベンツやボルボのトラックが爆走する。時まさにイラクとの戦争さなか。
俗にいう「イラ・イラ戦争」。だが戦火を感じさせるものはない。
ただ幹線道路には至る所に検問所があり、旅行者の姿はほとんど見られない。
そんななか、能天気な日本人の乗るバイクだけが走っていく…。




イラン

イランを無事に抜けられるかというのが、このツーリングのふたつめの課題だった。当時西側諸国のパスポートでは、ビザを取るのが難しかった。ところが日本のパスポートではビザなしで入国が可能。日本はパーレビ国王時代から、イランときわめて良好な関係を保っていたのだ。その後、ホメイニ師のもとでイスラム革命がおこったが、良好な関係はそのまま続いていた。そのせいか、僕が日本人とわかると現地の人は極めて友好な態度で接してくる。
「クロサワの映画はいい。七人の侍は何回はみたよ」という人も少なくない。
写真:有名な遺跡・ペルセポリス。観光客はほぼゼロ。

イスラム革命の影響か、英語教育が行き届いていないようだ。パキスタン国境のイラン側事務所でも英語があまり通じなかった。英語が堪能なのは、教育を受けたインテリの人だが、その人たちは革命後、総じてあまりいい待遇を受けていないようだ。偶然英語を話す人に会って、その人の家にひと晩泊めてもらった。
「革命後はどうも住みにくくなってねぇ」と言葉を濁す。その人の友達の家にも招かれ歓迎された。その友達のお父さんはパーレビ国王の近衛兵だったとのことで、同じようにこの時代では、生きていくのがたいへんらしい。因みに友達の家族は拝火教(ゾロアスター教)という。拝火教の人には初めて会った。
写真:バザールにあるチャイハネに連れていってもらった。水タバコを吸っている。炭の上に置いたタバコを長いホース経由で吸う。頭が痛くなるから、あまり深く吸うなと言われた。モザイクが美しい。


トルコ

11月のイラン・トルコ国境はたいへん寒かった。実は標高がかなり高いのである。写真の正面に見えるのは、旧約聖書に出てくるアララト山である。ノアの方舟が大洪水の後に漂着したのが、アララト山の頂上といわれている。
トルコは楽しみにしていた国のひとつで、自然の景観、歴史的な建造物も多い。また、イランから入境したときには、何かほっとしたのも事実だった。戦争の影響を直接受けなかったとはいえ、街には軍服姿が多いし、テヘランには街中に防空壕も多い。旅を楽しむというには雰囲気ではなかったから。イランにいた2週間、後から聞くとその頃日本では、ホルムズ海峡でタンカーが攻撃されたとの報道がなされたいたようだ。トルコは同じイスラム圏とはいえ、比較的柔軟な路線のため、アルコールもOKだ。トルコでの1日目、国境近くの町に泊まり、早速ビールを飲もうとしたところ、きょうはアルコールは出せないとという。僕が怪訝な顔をしてその理由を尋ねると、「きょうはアタチュルクの命日なので、酒は売れないとのこと」。アタチュルクはトルコ建国の父と呼ばれる人物だ。不謹慎にもそれを楽しみに国境越えしてきた僕は、戦争地帯通過の祝杯をあげるのをもう1日待たなくてはならなかった。内陸部は恐ろしく寒かった。エルズルムという町では道路が完全に凍っており、少しでも暖かいと思われる標高の低い、黒海沿いに逃れようと北上した。海岸沿いを走って雪と氷を逃れ再び内陸部にある首都アンカラを目指す。


アンカラでアメリカ大使館に寄り、アメリカの観光ビザを取とろうか思っていた。長い旅のため日本のアメリカ大使館でビザを取っても期限が切れてしまって無駄になるため、旅行中に取ることにしたのだ。旅人の情報で、イスタンブールのアメリカ領事館が取りやすいと聞いていたため、その手前のアンカラで様子を見てみようかと挑戦したのだが、申請は受け付けられたもののビザは取れなかった。
それならイスタンブールの領事館で再挑戦しようと、アンカラの町を観光することにした。おもしろい風景があったので、写真を撮ろうとしたところシャッターが押せなかった。そのときは電池で動くバカチョンカメラを持っていたのが、電池を確認してみると見たこともないような電池が入っていた。我が目を疑った。いつすり替わった? あのときしかない。大使館に入るときに、警備の警官にカメラ(大使館の中に荷物を持ち込めないため)を預けた。そのときに警官がすり替たに違いない。僕は頭に血が上り、大使館に引き返した。そして、警備の警官に大使館のアメリカ人に会わせろと息巻いた。警官は気色ばみながら、何をしに来たと言う。カメラの電池をすり替えたヤツがいるので、それをアメリカ人に訴える、と言うと警官は怒り出して姿を消した。引き返してくると、この電池かと言って、僕の電池を投げつけるように返すと「とっと帰れ!」と言ってゲートを閉めた。腹の虫はおさまらないが、電池が返ってきたことで良しとして引き上げる。たかが単三電池2本だけど、どうしてそんなことするかなあ? と、理解に苦しむのであった。


何でこんなにおもしろいものがあるんだろう? というのがトルコの印象だ。
「パムッカレ」もそのひとつだが、ここはマイルドセブンのCMで有名になった。正しくは「石灰華段丘」というらしいのだが、石灰で形造られた白い段に温泉水が流れている。CMのときには、この上空を飛行機が白い飛行機雲をまっすぐに描きながら飛んでいるという映像だった(マイルドセブンは白のイメージだったんですね)。こんな美しい地形が本当にあるんだろうか、あるならぜひ見てみたいというのが、当時の印象だった。それが「パムッカレ」だった。
あいにく天気が悪く、青空をバックにして眺めることはできなかったが、確かにこの場所だ。冬のせいか、水も少ししから流れていないのが残念だったが、夏は水着を着た旅行者がここで温泉浴楽しむという。



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