
アジアの熱狂
1987.7〜10

深夜、インド・マドラス空港に降り立った。ムッとする熱気が伝わってくる。
20kgを超す荷物を持って建物の外に出ると、真夜中というのに人、人、人…。
1時間もたたないうちに、悪徳タクシー運転手の洗礼を受ける。
「おもしろくなってきたじゃないか」そんな強がりが、いつまで続くことか。
ついに始まった世界ツーリング、毎日が真剣勝負!
インド
「ツーリングの出発点はインドしかない……」という気持ちがあった。 何故だかよくわからないが、「インドを征するものは世界を征す」とでも言えばいいのか、とにかくそんな気がしたのだ。というわけで大胆不敵にもツーリングを開始した。マドラスに上陸し、まずはカルカッタを目指した。 インドの道路で怖いのは、地方の町を抜けるとき。人、自転車、車、トラック、そして鶏、牛などが駆け回る道を注意深く走らなければならない。とにかく人が多いので、神経を使う。間違ってバザールにでも入ろうものなら、大混乱となり阿鼻叫喚の世界が展開されるのだ。
そんなインドではせいぜい走って300km。暑さと、人々の好奇の目に疲れ果て、一日の終わりにはベッドに倒れ込むようにして眠る毎日だった。
写真:ニューデリーを出発し、パキスタン国境の町・アムリトサルを目指す。この道が「アジアハイウエイ」と呼ばれる道。石でできた道標がとてもシブイのである。
ネパール
「インドを抜けてネパールに入ると、何故かホッとする」とはよく言われることだが、私もそれには同感だ。やはりホッとしたのである。まず人々の顔。日本人によく似ているということもあるのだが、インド人の鋭い目には少々辟易していた時期でもあった。
インド国境ビルガンジから、首都カトマンズに向けて高度を上げていくと次第に涼しくなり、日本で見かけたような山村の風景が広がってくると、郷愁を誘われる。
そして、ヒマラヤ山脈。 「やっぱりネパールはいいなあ」と思ってしまうのである。
カトマンズから西へ約200kmのところに、アンナプルナ方面のトレッキング基地として名高いポカラという町がある。ネパール有数の幹線道路を走っていくのだが、何回も舗装されているにも関わらず、水害などで穴凹だらけ。一日ホコリまみれになって走るとポカラに着く。
のんびりとした観光地で、腰を落ち着けると動けなくなりそうな場所である。長期旅行者のオアシスといったところだ。
写真:ポカラから見上げる「マチャプチャレ・標高6,993m」。晴れた日にはアンナプルナやダウラギリも見える。
パキスタン
パキスタンでもっとも怖かったのが路線バス。ここの交通規則では、追い越し優先ということになっているらしく、反対車線に入ってきて追い越しをかけている車には道を譲らなければならないのだ。路肩に逃げて転倒したこともある。日本の交通規則に慣れている私にはそれが何故か理不尽に思え、それに反抗して何度か危険な目に遭った。
追い越しをかけてこちらの車線に入ってばく進してくるバスが前方に見える。もちろん私はヘッドライトを上向きにして走っているのだが、そんなことなどお構いなしだ。まるでチキンレースをしているようだ。ぎりぎりまで頑張る。なかには追い越しをあきらめる車もあるが、最後まで追い越しを強行する車も少なくない。衝突寸前に避けてお互いに停車してドライバーと視線があったこともあった。
聞けばパキスタンのバスドライバーは、命知らずで売っているとか。いくら理不尽とはいえ、異邦人はその国の掟に従うしかないようである。
写真:クエッタにある道標。ロンドンまで9,470km、アンカラまで7,920km、テヘランまで2,275kmという表示が見える。。
パキスタン北西、アフガニスタンとの国境に近い町ペシャワールでは、町で偶然出会った青年医師の家に泊めてもらう。彼は自宅で医院を開業しており、ペシャワールの赤髭といったところか。近所の人がひっきりなしに訪れる。
医院の隣に住んでいるのがアフガン難民の若者。カブールにいるときは学生だったが、ここでは八百屋をやっている。彼に招かれて、郊外にあるアフガン難民キャンプを訪れる。そこではまさに結婚式が行われようとしていた。
写真中央で金ピカの衣装に身を包んでいるのが花婿で、金の飾りの周りを白く彩るのが新品のお札だ。残念ながら花嫁を見ることはできなかった。花嫁どころか女性の姿さえ見かけない。イスラム教世界である。
式が終わるとお祝いの意味だろうか、若い仲間が空に向けて機関銃を撃ち始めた。初めて聞く実射の音に身のすくむ思いがしたが、このあたりでは銃を見るのが珍しくない。近くには鉄砲鍛冶の町もある。鉄砲を担いでバスに乗ってるオッサンなんてのが結構いるのである。
カイバル峠を見てみたいというのがこの旅の大きな目的だったが、峠へ向かう道の手前にはポリスチェックがあった。 「この先は行けないよ」と、ポリスボックスにいるオジサンたちに止められた。旧ソ連軍がアフガニスタンに侵攻中のことである。
「許可証は持ってるのかい?」 私はもちろんそんなものを持っていなかった。
旅の途中で外国人向けに、非公式にカイバルツアーというのが組まれていると聞いた。アフガンのゲリラがカイバル峠まで連れていってくれるとか。
「何もなければ、無事に帰ってこられる。でも、帰ってこないツーリストもいるらしい……」その日本人はこうも付け加えた。「でも、ゲリラたちは義理堅いから、彼らが生きているうちは、自分の命を投げ出してもツーリストを守ってくれるらしいよ」
内戦中なのだ。私は大きくUターンして、今来た道を引き返した。
写真:「写真を撮ってもいいですか?」私がそう尋ねると、ポリスは機関銃を手にもって気軽にそれに応じてくれた。
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